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お坊さんのストリーミング

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今日、あるストリーミングを見た。お坊さんのストリーミング。ミャンマーのことが話されていた。実は、ミャンマーのことを質問してみたのは、この私。内容は、ミャンマー人のこの勉強のしなさ、努力のしなさ、がんばらなさってのは仏教、ブッダの教えにそんなことは書いてないということ。その答えなのかはわからないけど、ちょっと考えることもあった。
 ビジネスでは、常に動いて変革していかなければならない。でなければ、時代遅れになってしまい、世の中から必要とされないものになる=退場させられることになる。
 ただ、みんなが競争をせず、共存できるシステムがあるのならば、何もがんばる必要はないということにもなる。ミャンマー人なりに日々努力をしているのだろう。だけど、よく言えば、必要以上の努力はしないということなのかもしれない。いつも思っていることだけど、日本とは対極にある国がミャンマーだ。
 ミャンマーには数多くの仏塔がある。それは、国、過去の王朝が作ったわけではない。ミャンマー人がお布施をしたり、お金持ちが作ったりしたものだ。これは、自主的に格差社会を是正する意味合いもある。お金を持っている人がパゴダ、お寺を作る。そうすると、貧しい人、お金を持っていない人はそのお寺を作る=働く場所ができる=所得になるので、お金持ちから貧しい人に分配されるという仕組み。これは、市民の間での公共事業の意味合いがあるってこと。それに対してだれも文句は言わない。
 これがミャンマー社会で、いい面のひとつだ。なので、なんだかんだ貧しくても、そこそこの努力でなんとでも生きていけることになる。ただ、これでは国は発展しない。なぜなら、仏塔、パゴダ、お寺を作ったとしてもお金を生まないからだ。投資をして何かを作り出して利益を得て配当を受け取る。それがビジネスだ。
 仏塔、パゴダ、お寺がお金を得る方法は、外国人旅行者をミャンマーに連れてくることくらいしかない。まぁ、いまの私はそれをしようとしているのだけど。
 これがミャンマー社会でもある。正直、どっちがいいのかはわからないけど、生きているのが楽なシステムは、間違いなくミャンマーだろう。人それぞれ、国によっても価値観が違うから何とも言えんけど。
 そうだな、ミャンマー人がいままで作ったものをお金に変えるようなシステムを作っていると思えば、いまの下向きだった仕事もやりがいが出るか~、と書いていて思った。

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