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民主党政権の暗黒時代。

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 38歳くらいの時に飲食店で働きながらビジネススクールに通い、見事に体を壊した。最後の一年は上司が変わったという事もあり、仕事へのモチベーション、やる気を失ったのもあって仕事を辞めようと思い、最後の1年だけがんばろうと思って無理した。まぁ、ある程度の飲食店のオペレーション、管理ができるようになったから、もういいかな?っていうのもあった。で、無理して帯状疱疹になって見事に入院。その後遺症?なのかはわからないけど、アレルギーがとにかくひどい状態になって苦しんだ。いまもまだちょっと出てくる。
 日本の景気はデフレで激悪だった。なにか自分で起業できるスキルとか、能力とか、そういったものを身につけないと生きていけないという強迫観念みたいなものがあった。
 何かしなくちゃ、勉強しなくちゃ、生きていくためになんでもいいから身につけなくちゃ、何かに追われてた。私だけではなく、周りの人もそうだったと思う。大企業も潰れた時代だった。自殺者も多数いたし、就職できない学生もたくさんいた。明日は我が身だ。みんな、無理しないと生きていけない時代だった。それが、暗黒の民主党政権時代だ。
 私はメンタルが弱い。まぁ、普通の人だって弱いんだろうけど。でも、自分ではメンタルを鍛えよう!鍛えよう!ってことばかりが先行して、リラックスするってことはほとんどなかった。いま考えてみれば、そんなのは続かないし、どこかで心が折れるもんだ。その時は、休み方を知らなかったと思う。ストレス解消法もそうだ。いくら寝たところでストレスの解消にはならない。
 いまは少しできるようになったと思うけど、まだまだ十分できてないし、メンタルが強いとは言えない。ただ、ミャンマーでの仕事がうまく行く行かない別にして、やることやったと思えれば、少しは強くなったと思えるのではないか?と思っている。その時にならないとわからないけど、強くなるんじゃないのか?って思ってやってる。単なる自己満足なのだろう。だけど、仕事、人生なんてそんなもんだろう。自己満足するかしないか?ブッダの言葉からすれば、そもそも人が生きる意味なんてないのだから。私がこの世にいなくても、世界は、社会は全く困らないのだから。
 ただ、10年前の私なら今の状況から簡単に逃げ出してるだろうなと思う。何かのスキルを身につけるよりも、メンタルを鍛えるって方が難しいし、何かをするときには技術よりもメンタルのほうが大切なことだ。心技体、心の文字が一番最初に来るのには理由があるってことだ。起業をする、ミャンマーに来たのは、自分の心が少しでも強くなったってのを自分自身に証明したいためでもある。

「寝る」「自然に触れる」「触れてもらう」が心を癒す/"잠" "자연 역사" "만져달라고"마음을 치유하는 3 요소