日本 | ミャンマーでの独り言 https://wp.myanmar-travel.info ミャンマーでの起業をしたけど、トラブルばかり・・・。日本とミャンマーとの差を愚痴ってみようと思います。 Thu, 21 Mar 2019 13:52:34 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.18 男脳と女脳は違う。 https://wp.myanmar-travel.info/post-434/ https://wp.myanmar-travel.info/post-434/#respond Tue, 05 Mar 2019 14:45:29 +0000 http://wp.myanmar-travel.info/?p=434  集中力を必要としない、サイトのリンクチェックをしながら動画見てる。これは短期間で決めるときの場合ね。できる男は忙しい。いやいや、仕事は、忙しい人に頼むべき。忙しい人は時間のやりくり、スケジュール管理が上手だから、必要な仕事、関係なら時間を確保してくれるのだからね。
 また、長期で口説こうと思ったら、長く関係を続けておくべきだ。なぜなら、ほとんどの人は、自分の理想の相手が恋人、結婚相手ではないからだ。これは、データ上でも明らかな事。
 なので、他に関係があったとしても、関係を続けておくことによって、口説こうと思っていた人の関係が切れた時にチャンスが生まれるということになる。
 まぁ、結婚相談所は結婚させることが目的だし、お互いの条件が合致した人同士が出会う場だから、恋愛とか関係ないもんね。この人も違う動画でそうハッキリ言ってた。ここは、恋愛をする場ではないですって。結婚をしたい人同士を出合わせて結びつける場だって。
 ま、男なんてみんな一緒だ。脳科学的には、恋愛関係、恋愛感情は最長で3年しか続かない。3年目の浮気ってのはあながち嘘ではないということ。また、データ上では、男も女も約50%の人が浮気をするとのこと。男の方が少し高くて、女の人が少し低い。
 まぁ、浮気の定義にもよるのだけど・・・。現実は理想とはかけ離れているものだ。

 それと、ネット上、ライン上では、短期間で濃密なやり取りをして、とっとと会う約束をした方がいいらしい。時間を長くとか、そういうことをしてはいけない。また、疲れているときを狙うのがベスト。なぜなら、疲れているときは判断力がないからOK[しやすいのだとか。(笑)
 よく、仕事が終わった後に飲みに誘って行くってのは、こういうことが関わっているらしい。優しさを見せて、疲れているときには話しかけない、誘わないのはチャンスを逃すことになるんだって!
 また、女性にありがちなんだけど、ダラダラと話してなかなか決まらないってのは、女性脳が関係してるのだろう。男の脳は解決で話をするけど、女の脳は共感で話をする。なので、ダラダラと話してなかなか決まらないの!ってのは、女性の方がそれを望んでるのだと思う。

「デキる男」を逃す女子とは

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男はみんな・・・ https://wp.myanmar-travel.info/post-430/ https://wp.myanmar-travel.info/post-430/#respond Tue, 05 Mar 2019 14:39:10 +0000 http://wp.myanmar-travel.info/?p=430  その通りである。男は女々しい生き物である。それは、男の脳と女の脳の構造が違うから仕方がない。基本的には、男の脳の構造は過去であり、女の脳は未来だ。なので、男は過去の彼女とかに女々しいことをしたとしても無意味だ。あいつは俺のことをまだ思ってるはず・・・、なんてことはない。(笑)これは知識として知っておくべきだし、知っておけばその後の行動も変わってくるだろう。
 この人の動画を何本か見たけど、ハッキリ言う人だなぁ~と思う。のだけど、この人はできる営業マンだろうなとも思う。婚活カウンセラーなのだろうけど、この人の動画を見て嫌な思いをする人はたくさんいるだろうし、叩く人もいるだろうし、受け入れられない人もいるだろう。でも、それは全く問題ない。というか、この人のビジネスでは逆にいい結果を生むことになる。なぜなら、この人はこの動画を作ることで、婚活しても結婚できない、捕まえられない人をこの動画によって排除しているからだ。結果的にこの動画を見て、『そうだな・・・』と思う人がこの人に集まる=婚活で成婚しやすい人がこの人に集まるということ。婚活カウンセラーは、どれだけ成婚させたかが問われるのだからね。いいことばかりを言って、成婚できない人が集まってはこまる。まさに、損して得取れ的な考えだ。
 ネット上で叩かれることを恐れないことが大切だし、実は、ネット上でたたいている人は全体のわずか2~3パーセントくらいしかいない。いわゆる、悪い意味でのインフルエンサーだ。そんなごくわずかな人の意見をまともに受けることはない。大局を見るべき。ビジネスにならない人を排除するというインターネットの使い方でもある。

オトコは基本○○○○生き物なのだ
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日本とミャンマーの仏教の違い https://wp.myanmar-travel.info/post-428/ https://wp.myanmar-travel.info/post-428/#respond Tue, 05 Mar 2019 14:37:20 +0000 http://wp.myanmar-travel.info/?p=428  日本の仏教とミャンマーの仏教、何が違うかって言えば、慈悲だ。慈を重んじるか?悲を重んじるか?ま、大乗仏教と上座仏教の違い。
 自分中心か?それとも、周りの人が中心か?ということだろう。今日の朝、パゴダに行って朝日を見てお参りしてて、なんかしらないけど思った。
 ミャンマーでは、みんなが進んでお布施をする。なんでそんなにするんだろう?ってくらいお布施をする。日本人にはない感覚だし、外国人にもないだろう。
 たぶんだけど、根本的な考え方が違う。そう、個人のためか?それとも、周りのみんなのためか?『自分が修行して幸せになっても、周りの人達が幸せにならなければ意味ないじゃん!』そのための仏教であり、パゴダ、お寺であり、お坊さんということ。
 日本の仏教は、個人の研鑽、修行が中心だ。だけど、よくよく考えてみれば、個人の研鑽、修行は個人の幸せ?満足?解脱?のために、なんで他人がお布施をしなければならない?となる。
 だけど、ミャンマーのように、みんなの幸せが中心であれば、自分のするお布施が巡り巡って自分にも帰ってくるよなって。安心して暮らせる社会ができるのだから、そりゃあ、みんなお布施をするわなと。
 世界で一番寄付をするのがミャンマー人だ。仏教がみんなの幸せの中心に存在することによって、みんなが平等に近く暮らせるようになる。意識的か無意識的かはわからないけど、そういう社会システムということなのだろう。そう、お布施などによって自主的に富の分配が行われているのがミャンマーだ。
 ミャンマー人は人生のうちで何回かは出家する。そこで、煩悩?を取り払う。仏教の三毒といわれる貪・瞋・癡(とん・しん・ち)。こういうものを取り払うためでもある。
 ミャンマーは軍事政だったので、ほとんど鎖国していた状態であったから、この現代にあってもそのような風習が色濃く残っている。これがミャンマーのいいところだけど、逆に国の発展を阻害している原因でもあるのだろう。だけど、みんなが幸せに暮らせればそれが一番いいということだし、それと国の発展は関係がない。国が発展したからといって、みんなが幸せになるわけではない。競争する社会がいいというわけではない。ミャンマーは、日本で言えば江戸時代にあたるってことだろうな。こういう社会システムもあるということ。このような宗教なら、あってもいいよなと思う。

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ミャンマーという国 https://wp.myanmar-travel.info/post-412/ https://wp.myanmar-travel.info/post-412/#respond Mon, 04 Mar 2019 13:46:17 +0000 http://wp.myanmar-travel.info/?p=412 ミャンマーの国についての考え方を変えようと思う。そもそも、この国は発展を望んでいない国ということ。ミャンマー人は経済の発展を望んでいるようなことを言うけど、やっていることは発展を望んでいるとは到底思えないし、この国の発展などありえない。だけど、発展することがいいともいえないから別にいいのではとも思う。
 まず、普通の国では、富の分配は国を通じて行われるものだ。富裕層には多くの税率を設定し、貧しい人は低い税率になる、もしくは、貧しい人に分配される。だけど、ミャンマーでは税収というシステムがないに等しいし、実はそれは必要ない。
 ミャンマーでの富の分配は、仏教という宗教が深くかかわることにより行われるシステムになっている。この分配システムは簡単で、必要以上のお金があれば、ミャンマー人はパゴダ、お寺、モナストリーに寄付をしたり、仏塔を建てたりする。お金のない人は、パゴダ、お寺を作る、建てるなどして働いてお金を得る。食べ物がなければ、お寺に行けば食べられる。そう、これが、仏教を通じた富の分配システムになる。これは、ミャンマーのいい面でもある。

 だけど、これには大きな問題がある。普通、ビジネスでお金を得たら、その利益を元に新たな投資を行って、更に利益を得て投資を行ってと循環していくものだ。だけど、ミャンマーではそうはならない。利益、お金を得ると、パゴダ、仏塔を建てたり、お寺に寄付をしてしまう。その寄付は貧しい人たちに分配されるという意味合いがあるから、富の分配が必然的に行われるのだけど、そのパゴダ、お寺、モナストリーに寄付をすることは何も生まない。ただ単に消費されるだけになる。パゴダ、お寺、モナストリーを作ることは単なる消費だ。これでは何も作り出すことがないのだから、ビジネスの循環が生まれることはないので、国も当然のごとく発展することはない。
 だから、いつまでたってもミャンマーは新興国だ。だけど、みんなが仏教に寄付をすることによって安定的に暮らせるシステムなのは確かだ。結果的に、ミャンマー人はそれを望んでいるってことだろう。

 国としては、鎖国をしてみんなで安心して楽しく暮らせるのであればこのシステムでも全く問題ないし、このシステムのほうがいいのだろう。そう、日本で言えば、鎖国をしていた江戸時代以前なら全く問題ないということ。だけど、いまは国際化が進んで、国と国との貿易が行われるからそうはいかないってのもある。だけど、このシステムは、なんだかんだみんなが食べることだけはできるので、みんなが耐えられるシステムであるのも確かだ。更に、ミャンマーは水っていう資源が豊富な国だから、食べ物に困るってことはない。一年中夏だから、寒い時期に備えてってことも必要ない。森に入れば食べ物は落ちてる。マンゴーなどは買うものではない、拾うものだ。恵まれた自然環境でもある。
 最低限、ミャンマーの人達は生き延びることができる。餓死者が出ることはそうそうないシステム。それが維持されるのであれば、がんばる必要はない。システムが維持されるがんばりだけで構わないということ。逆に、その必要最低限のがんばりでのんびり暮らすってのも一つの考え方でもある。

 みんなが必要最低限のがんばりで、国の、経済の発展を望まなくても社会が回るのであればそれはそれで構わないし、みんながそれを望むのであれば、ミャンマー人にとってはそれが幸せってことだ。

 日本人的な感覚にはない、対極的な国、文化ということ。だけどね、日本、タイ、シンガポールに働きに行くことを望み、外貨を稼いでミャンマーに送金し、家を建てて終わりっていう考えはやめろと言いたい。
 それは、自らが奴隷になりに行っているようなものだ。技術を得て、国に持って帰り、ビジネスを始める、投資をするというのならばいいけど、ただ単に消費をして終わりになるってのは国にとっても、自分達ミャンマー人にとっても好いことではない。

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